「五十嵐さん。」

低くて変声期を終えた声が私を呼ぶ。振り返るとだるそうに窓のサッシに腕を乗せて、廊下から教室を覗き込んでいる長身猫背の男子が立っていた。

「・・・さん、いる?」

私はスタンプラリーの台紙をひたすら折るという地味な作業を止めないまま、ああと確認するように呟いた。転校生、六道と一緒の。の彼氏、そうそう、柿本だ。

は生徒会室。今の時間だと見廻り中だと思う。」
「・・・分かった。」
「あ、伝言?」
「いや・・・平気。有難う。」
「いいえー。」

猫背を伸ばさないまま彼は教室を後にする。私は台紙に視線を戻し、終わらない作業に溜め息をつく。誰だスタンプラリーやるとか言い出したのは、と思いながら他に案が出なかったのだから仕方ない。そうだな、みたく彼氏がいたら校内スタンプラリーも楽しいのかも知れない。 台紙に刷られた「体育館にいる学ランを着た女子から一番の問題を聞いてね」とか「理科室の人体模型(まさおくん)から五番の問題を聞いてね」という文章を見ながら思う。

「・・・くそう、が憎らしい。」
「突然何言ってんの、いがちゃん。」
「いや、うちの出し物がカップル向け過ぎやしないかと」
「そうかなあ・・・。ま、私は先輩と回る約束したけどね。」
「のぇ?!マジで?!」
「マジマジ。あ、でもは生徒会じゃん。暇あんのかな?」
「さー。ていうか彼氏持ちの事とかもう知らんし。」
「いがちゃんの薄情者ッ!」
「うっさいわ!お前に独り身の気持ちが分かって堪るかー!」

台紙を投げつけて叫ぶと委員長に怒られた。切ない。
去年はも独り身だったのに・・・くそう、柿本が憎くなってきた。でも文化祭、全然一緒に回れなかったら、面白くないだろうなー。仕方ないからラリーの当番代わってやろっと。やっぱり親友の幸せって嬉しいもんだよ、うん。

ぶっちゃけ柿本は微妙に憎いけど。


文化祭前日


教科書の入っていない軽い鞄を肩に掛け直し、携帯のメールを確認しながら昇降口に向かう。六時三分、五十嵐から「生徒会お疲れだろうからスタンプラリーの当番代わりに出ちゃるー!私優しいね!あ、柿本が探してたよ。」と言うメールが入っている。慌てて腕時計を確認するが、もう七時を回っていた。

リダイヤル、柿本千種をプッシュして靴を履き替えながら携帯を耳に当てる。無機質なコール音が耳を打つと同時に、すぐ近くで単調な携帯の着信音が聞こえた。 思わず辺りを見渡すと千種が傘立てに座ったまま、携帯をポケットから出していた。

「千種!」

電源を押しながら呼び掛けると、千種が携帯から目を離して私を見た。私が走ると千種はゆっくり立ち上がる。

「待ってて、くれたの?」
「・・・図書館で本読んでたら、遅くなったから、ついで。」

変な言い訳、図書館は文化祭前日で閉館してるのに。長い時間待っただろうに、気を遣わせないようにしてくれてる。嬉しくて溜まっていた疲れが吹き飛んだ。

「ありがとう。」
「・・・帰ろう。」
「うん。」

私は笑って千種と手を繋ぐと、その手はとても冷たくてびっくりした。ああ、秋が近付いている。そしてすぐ冬が来るだろう。

「ね、千種。明日一緒に回ろっか。」
「・・・生徒会は?忙しいんじゃないの。」
「当日はクラス企画もあるから、先生が見廻ってくれるの。」
「・・・午前中は、俺クラス企画の当番だから。」
「そうなの?じゃあ、私遊びに行くね。」
は、当番無いの?」
「五十嵐が代わってくれるって。」
「・・・そう。」

少しだけ、千種が笑った。楽しそうに。
そういえば千種のクラスは何の出し物をするんだっけ。聞いても良いけど、明日までのお楽しみでも良いかもしれない。急に明日の文化祭が凄く楽しみになってきて、私は堪らず声に出して笑った。千種はちょっと驚いた顔をして、小学生みたいだよと言って、私の頭を撫でた。


*2007.10.25.

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